近世まれに見る激動の日々――昭和
今日くらいは昭和のことを振り返ってもいいだろう。
僕も昭和の後半に生まれ、過去の羽振り(=はじけた当時はバブルと言われていた経済)の一部を知っているのだし。
ここを見る皆は、昭和と聞くと何を思い出すだろうか。
初期を覚えておられる壮健の方々なら、大東亜戦争*1や闇市の頃かも知れないし、GHQの兵隊達を見ておびえた記憶もあっただろうか。
戦争から10年後には東大などで繰り広げられた学生闘争も終わりを迎え、彼ら闘争の主役を自称した人々は責任転嫁と同”志”討ちを繰り返し地下へ潜った頃だろうか。その一部は今表社会で政治屋を自称し、あまつさえ国会内にまで我が物顔でちん入している…警察も早くそういった不穏分子を排除すべきだというに…っと、話がそれてしまったので本題に;
その戦争から約30年ほど後に、僕は生を受けた。
昭和50年代前半。
そんな僕が思う昭和はというと、
「物価こそ安くはなかったが、それでも買えば買うほどそれ以上の給料が得られた時代」。
そのように、昭和という時代を記憶している。
確かに、昭和の時代、商品は一つ一つが高かった。
品質に関しては常に最上を追求し、そのためには手間暇を惜しまなかった。 故に、値段は高かった。今の方が値段高いものって、缶ジュースくらいなものだった。
だが、あらゆるモノに最上を求められたのと引き替えに、その利益は小さくとも関係した各社に行き渡り、故に当時生き残っていた大半の会社や地方が潤っていた、といえる。
つまり、完全に国内で生産から消費までを賄っていたのだ*2。
だから、昭和はすごかった。
かつての戦争で、これ見よがしに原爆を2発も落とされ、半世紀も生き物が住めないだろうとされた元大都市を2つも抱えさせられた状態からスタートして、
約30年で両爆心地は公園として綺麗に整備されただけでなく、真っ当に人が住める大都市として作り直され、
しかも国内を盛り返しただけでなく、日本という国を、世界が経済的に無視できなくなってきていた。
こんな国、日本以外のどこにある?
胸を張って言えるよ、日本以外にないってね。
昨今はトモダチ作戦で手を組んでくれたアメリカも、GM(ゼネラルモーターズ)がトヨタの車ほど売れないから、とあの手この手で日本車の対米輸出に制限をかけてきていたとされる件に関して、耳にたこができるほどニュースで聞いていたと思う。
それだけ過去に戦争でも苦戦、商戦でも苦杯、と散々厳しい目に遭わされておきながらも、それでもトモダチ作戦を実行に移した背景には、”日本という国は日本という国として存在していてほしい”と言う気持ちもあったからではないか、と勝手ながら僕は推測している。
半分以上は打算かも知れないが。
でも、こうして「友好国として」引き留めてくれる存在は、非常に貴重なモノではないだろうか。
僕たちの身近な存在としては「友人」だろうか。
アメリカにそう思わせる最初の大きなきっかけとなったのが、本日が誕生日であった昭和天皇であらせられたのだ…僕はそう思っている。
マッカーサーを感動させた昭和天皇の言葉
「…(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。
一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。
一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。
三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。
また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。
いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…
陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
皇太后・貞明様は、侍従に陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。
九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。
マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。
陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。
『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』
――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか
――しかし陛下は続けました。
『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』
天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。
マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。
マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」
と。
陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
と。
そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。
皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。
どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。
いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。
じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。
それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。
米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。
ただ一言、マッカーサーは、
『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』
と言いました。
彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。
そういえば大東亜戦争に関連し、本があったのをいくつか思い出した。
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ちょっと大東亜戦争とは離れますが、これらも読むと為になるし自信が生まれるので、余裕があるなら読むことをオススメする。
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上で触れた中国とはどんな国なのか。
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