約20年来の懸念、後わずか

皆の前で開けていない引き出しの1つではあるが、これでもそれなりにクラシックは聴いてきていた人間で、小中学生の夏休み当時の音楽の感想文で、例えばビバルディの四季から春であったり、交響曲『田園』の感想文を書いたりしたこともあった。
そういった所からか、2000年台以降のメロディに楽器的厚みのない曲は聞いていて物足りないと思う事が多く、好きな曲を上げると時代が飛び飛びになっている事が多いという妙な感性の持ち主ではある(と自覚もしている)。


今インターネットと呼ばれているモノが、まだ研究対象であった時代。
WindowsMS-DOSを押しのけて主力OSとなる、ということが全く信じられなかった頃の、音楽用メディアがテープかDATからMDに変わるかも、と言う頃の話だ。
ある日、同じ学校に通う知人の家に何度目か上がらせて貰った際に、その知人が買ったクラシック詰め合わせのCDがあった。
偶然そのCDを聞く事ができたが、とある曲に琴線を強く揺さぶられて聞き惚れた僕は、知人に頼み込んでテープへのダビング許可を頂くと、後日持ち寄った120分テープいっぱいにCDをリピート再生してダビングし*1、それを持ち帰って、家で何度も何度も聞いていた。


当時、有名な曲名さえ分かっていれば後で情報を探せる、とタカを括っていた僕は、テープを聞き込むたび、先述した曲とは別の曲に、さらに強く惹かれていることを気付かなかった。
やがて学校から卒業、就職して色々な経験を積みつつ、何度もそのテープを聞き込んで、さらに聞き惚れていったのだが、やがて後で聞き惚れた曲の情報を探そうとした時、既にそのCDが廃盤になったと言う事実を突き付けられたのである。


その時、多分マーラーの巨人を知っていたら、この曲の冒頭3分までがかかっていたに違いない


以降、何度も何度も、その廃盤されたCDの情報を探すために、店を歩き、動画サイトを探した。
思い出すたびに調べては、都度、調べ方が妥当でなかったのか、曲情報をかけらも手に入れることがなかった。
当時覚えていたのは、1998年に手に入っていたCDで、CDの曲の並びが約12曲中以下であった。

  1. パッヘルベルのカノン(ストリングス)
  2. ???
  3. 主よ、人の命の喜びよ

これだけで検索に掛けていたのだが、有名な曲しか覚えていなかった故に多数の候補に埋もれ、正解に漕ぎ着けることが出来なかった。


それでも必死になって調べ、Youtubeのクラシック関係の動画を聞きあさり、やっと辿り着いたのが、最初に聞き惚れたこの曲――
レモ・ジャゾット『アルビノーニのアダージョ』 であった。
何度聞いてもレクイエムに聞こえる曲調ではあるものの、れっきとしたレクイエムではなく、パッヘルベルのカノンやバッハの小フーガのように美しい旋律を持つ曲。
だが、曲調が曲調であるためかレクイエムの代用としてしばしば使われており、Youtubeにおいては追悼のシーンや悲しさを想起し得る絵を付けた動画が多い。


この曲を見つけてから曲探しのモチベーションが上がり、鉄は熱いうちに打て、に従い探し続けた。
最近の人には、『餅は熱いうちに食え』とか、『モチベの熱いうちにやれ』と言えば分かるだろうか。


以降、オラトリオ、クリスマス協奏曲、と探り当てて、最後に聞き惚れた曲だけが残った。
だが、この曲の検索が難航に難航を極めた。
廃盤になったCDの情報も既に行方不明の状態で、曲名はおろか単曲なのか楽曲なのか、そして楽曲だとしたら何番目なのかといった一切の曲情報が不明な中、自分が説明できるのが旋律のみ、という状況。
さりとてYahooは個人情報の扱いがアレだと聞いていて、とても質問を投げる為だけにID取るわけにも行かず…それを当てたエスパー並みに素晴らしい人も居たとは思うが*2、個人情報の大切さにはちょっと。


そんな今年5月のある日、ふとその曲のことを思い出して検索試聴を繰り返し、そして出てきた曲の中に、見慣れない曲が現れた。
ところがその日だけは、その曲名に、『言霊』のようなものを感じた様な、そんな気がした。


「えっ? クラシック曲に、こんな単語付けることって、あったのか…?」
それが、最初の所感。
確か、見て2〜3分は訝しんでいたと思う。


まあ、分からないし聞いてみるか。
そうして聞いて、出だしが掛かると同時。


十年来、記憶の底で残っていた懸念だった最後の曲名通り――
『調和の霊感』(Vivaldi - Concerto No.10 for 4-Violin in B minor,"RV 580")を鳥肌になった全身全霊で感じ、気付いたら泣いていた。


これで、全曲、聞いた――別アレンジだろうが、そのCDの曲を脳裏に出せる状態になった。
だから、件の廃盤になったCDを、手元に置いておきたいのだ。


ダビングしたテープは消えた、だがそこに罪は残っている。
『後で金を払えばいい』という盗人理論に十分該当する内容だろうと自分でも分かっている、でも手元にCDを置いておきたい。
そのCDを見る事で、自分が過去、インターネットが広まっていなかった時代にやらかした犯罪を、少しでも自分に、また他の人にも、させないように動く原動力にしたい。


CDを手に入れるだけで罪が償える、なんて全く思っていない。
手に入れて、愛用して、それから償う日々が始まるんだと信じている。
その最後の懸念を、解消するために。

*1:ここが法に触れると自覚している箇所。テープであった理由は、テープ以外の再生機器がなかったためである。もしこの箇所以外にも日本国内の法に触れる部分があるようなら、どうかコメントにてご指摘頂きたい

*2:勿論調べていた当初はそんなコトも分からないまま検索試聴検索試聴の繰り返しだったので、とてもそんな質問を頼る事はなかったが…