なんと大胆な
”wikiリークスの意義とは何か”。
ニコニコニュースからのものだが、最後の一言は上手いと思った。
僕はこの発言、全くその通りだと思う。
「暴力的なテロを語るとき、われわれが考えるのは社会の平常を乱す行為だ。でも、世の中を今のまま機能させるための暴力も存在しているのではないか?」
しかし、Wikiリークスはその方向性*1から、既存メディアからテロリスト扱いされてしまっている。
そりゃそうだ、「Wikiリークスさえ無ければ○○を支配できたのに」と思うメディアなんて世界に山ほどあるだろう(無論、日本にも)。
そんなマスコミからの”テロリスト扱い”を受けたWikiリークス代表と会談した哲学者は、彼を指してこういった。
「いい意味で、アサンジ氏はテロリストだ。同じ意味でガンジーもテロリストだった」
偉人さえも”テロリスト”と言ってのけたのは、まさに「マスコミによるレッテル貼り」*2を無効にするためであるとはいえど、中々出来ることではない。
何せその直後の発言の引用で、英領インド帝国が平常に機能するのを妨げた、と確かにテロリストたり得た振る舞いを指摘しているのだ、それによりアジア全土が欧米の奴隷とならずに済んだ歴史的事項をも「逆手にとって」指摘する辺り柔軟な考え方であると感嘆はするが、それが何処まで波及するかも一瞬で把握しておかないとすぐ…それも即時の炎上であるだけに、中々恐ろしい振る舞いであると恐怖も感じた。
その発言を最後に持ってきて、この日記を終わろう。
「ガンジーの行為は英領インド帝国が平常に機能するのを妨げた。アサンジ氏の場合は情報の伝達が、通常通り抑圧の下に行われるのを妨害しようとする」
最後に。
Wikiリークスの皆が、どうか悪辣なメディア達による「レッテル張り」に屈しない事、及び「本当の暴力的または電脳的なテロリストたちから隠蔽されること」を願う。